スイートレス・シュガー (春壱)

 

 ある雪の日のことです。中学生の太田くんは、喫茶店で同じクラスの佐藤さんと向かい合わせに座っていました。太田くんが勇気を振り絞って呼び出したのです。しかし、そこで勇気を使い果たしてしまったようで、肝心な時に何も言えないでいるのでした。
佐藤さんは微笑んでこっちを見ています。太田くんは汗をかきながら、格好つけて頼んでしまったコーヒーに、ひたすら砂糖を入れ続けていました。
「あ、あの……」
 ようやく太田くんは口を開きました。
「す、す、好きです、つ、つ、付き合ってください」
 何とか練習通り、典型的な台詞を言えました。しかし、佐藤さんの返事は典型的ではありませんでした。
「私のこと、どれくらい好きですか?」
 太田くんは想定外の返答に呆然とし、ただ汗だけが流れました。
 とりあえず口に含んだコーヒーは、あれほど砂糖を入れたのにも関わらず、とても苦いままでした。

 

 太田くんは自分の部屋でマシュマロをお供に、図書館で山のように借りてきた本とにらめっこしていました。どれくらい好き? この問いへの上手い返答を、古今東西の本の中に探していたのです。しかし、普段あまり本を読まない太田くん、活字になかなか集中出来ず、居間でお母さんに怒られたらしい妹の亜芽ちゃんの、泣き声ばかり頭に入ってきます。
「うえぇん、ママなんか、ひくっ、ママなんかだいっきらいぃ」
 本の中の恋人へのささやきは、どれもこれも気恥かしくて、口になんか出せないものばかりです。
 太田くんも分かってはいるのです、たとえ
「僕の貴女への愛は、山よりも大きく海よりも深い」
 とか
「貴女への愛で僕の胸は燃え尽きそうだ」
 とか何とか言ってみたって、自分の胸の中の思いの強さは伝わらないと。頭の悪い自分にも丁寧に通分の仕方を教えてくれて、いじめられっ子にはいつも優しく、いじめっ子にはあくまで厳しい、聡明で明るくて芯の強い学級委員長佐藤さんへの「好き」の程度を、伝えてくれる言葉を探すのは本当に難しいことだと。
 窓の外では雪がしんしんと降りつもり、まるで、甘くない粉砂糖のようでした。
 太田くんはため息をついて、おやつを食べに居間へ行きました。

 

 居間では、幼稚園の制服を着たままの亜芽ちゃんが、未だに泣き続けていました。
「ぐ、ごめんなさいぃ、ママあ、ぐぉめん、ひくっ、なさいぃ……」
 亜芽ちゃんにお母さんが言いました。
「よしよし、わかったわ。ママもう怒ってないから、泣くのやめようね」
 亜芽ちゃんが嗚咽を漏らしながらお母さんに抱きつきました。
 しばらく抱きしめてから手を離し、お母さんが亜芽ちゃんに訊きました。
「あっちゃん、ママのこと、好き?」
「好き」
「どれくらい?」
「いっぱい!」
 亜芽ちゃんはお母さんから離れると、両手を広げて居間中を走り回りました。涙の跡だらけの顔はきらきらの笑顔で、お母さんが大好きだということを子どもだけが出来る方法で表現していました。
 太田くんは、それを見て何かに気付いたようでした。

 

 ある雪の日のことです。中学生の太田くんは、喫茶店で同じクラスの佐藤さんと向かい合わせに座っていました。太田くんが勇気を振り絞って再び呼び出したのです。
 太田くんは、すでに砂糖をたっぷりと入れ終えたコーヒーを前に、微笑んでこっちを見ている佐藤さんに言いました。
「好きです、付き合ってください」
「私のこと、どれくらい好きですか?」
 太田くんは額の汗を軽く払うと、大きく一回息をしました。そして、佐藤さんの目をしっかりと見て、言いました。
「大好きです」
「心から」でも「とっても」でも何でも良かったのです。何と発音するかは問題ではない、と今の太田くんは知っていました。
「ありがとう」
 佐藤さんはにっこりとして言いました。
 そして……
「でも、お付き合いはダイエットの後でね。太田くん、痩せなきゃ体に悪いわよ」
 太田くんは、詰襟のボタンが今にも弾け飛びそうな、自分のぶよぶよの体を見下ろしました。
「佐藤さんは、甘くなかった……」
 太田くんはこっそり、つぶやきました。